2018/01/22 16:42

世界で最も歴史があり、名のある女性モード 雑誌といえば『Vogue』と『Harper's Bazaar』。
どちらも第一次世界大戦前にモード雑誌の体裁を整えたが、創刊されたのはもっと前で、『Harper's Bazaar』は1867年、ヴォーグは1892年のこと。
どちらも最初はファッションも扱う婦人総合誌だったのが、20世紀に入ってグラフィカルな高級モード誌に変貌します。

ヴォーグは、1909年にコンデ・ナストという出版人の手に。
彼はすでに『Collier's Weekly』という人気のあった雑誌で広告マンとしてキャリアを積んでいました。
生粋のニューヨーカーだったコンデ・ナストのもとで表紙のセンスも内容も都会的に変化したヴォーグは一気に部数を伸ばす。
これに対して、新聞社や出版社を所有していたランドルフ・ハーストは1913年にハーパース・バザーを買い取り、こちらも都会的に模様替えして対抗します。
ハーストは“イエロー・マガジン”と総称される下品で扇情的な雑誌やタブロイドをいくつも出版してたのに、バザー買収でいきなり上品路線を打ち出したのです。世間がビックリする変化でした。
ちなみに20年代の『Harper's Bazaar』は「Bazaar」ではなく「Bazar」と、aがひとつでした。

ところでヴォーグとは、フランス語だからフランスで生まれた雑誌、のように思っている人も少なくないかも。
1892年の創刊とはアメリカでのことであり、のちの高級モード誌の体裁が整ってから他国版が作られました。

イギリス版は1916年。なんとフランス版は第一次世界大戦後の1920年のこと。
世界のモードがフランス中心に回っていたはずなのに、なぜフランスが後回し?  
それはフランスには他にも沢山のモード誌があり、そもそも国内のファッション情報を国内にまわしていたから。
アメリカは18世紀からずっとパリやロンドンのファッション情報を仕入れて最新モードが成り立っていたので、 ヨーロッパのモード情報が最も必要とされていました。
だから初期のヴォーグもバザーもフランスの最新流行、パリのメゾンの情報を取材して大量消費国となるアメリカに伝えました。
ロンドンの上流人士のモード情報もアメリカでは重要でした。
とはいえイギリスもパリのモード情報を欲していた。
これは18世紀から女性モードはフランスが世界の中心だったから。だからこの順番になったともいえます。

それぞれお国柄が誌面に反映されましたが、ヴォーグもバザーもイギリス版は、貴族の淑女や令嬢が壮麗な自宅でフォト・ シューティングされる企画が多かった。
これだけはアメリカもフランスも真似できない。もうひとつ....
ハーパース・バザーは、本家アメリカでは「Bazaar」の文字が大きくレイアウトされるように変化しますが、1929年に創刊されたイギリス版は「HARPER'S」の文字が大きく。
だから第二次世界大戦後のバザー誌は、表紙のタイトル文字のどちらが 大きいかで米版か英版か、区別がつきます。
いまでは「Bazaar」を大きく扱うことで 世界各国版が統一されてますが。
有名モード誌にもいろいろトリビアな逸話があるわけです。