2020/11/01 19:48

ショーン・コネリーが亡くなった。
ちょうどこの数ヶ月、映画専門チャンネルで007特集をやっていて、全部録画して観てきたのでちょっと感想を。

僕はショーン・コネリーが大好きで、とくに「ロシアより愛を込めて」(ダニエラ・ビアンキ!)「ゴールド・フィンガー」(オナー・ブラックマン!)を偏愛して何度となく観てきた。
最初に007シリーズをTVで観た中学生の頃、スパイがこんなにスマートで美女とすぐにベッドに入れるなら、将来はスパイになろう! と思ったほどだ。
そしてスパイ・グッズの本や007愛用の秘密兵器の本などいろいろ買った。ボンド・ガール図鑑のようなものまでね。

だけどダニエル・クレイグの007は重労働だ。あんなに大変な思いをするならスパイになどなりたくない。
ロジャー・ムーアは? アクション、まったくダメでしょう? 喧嘩にもなってないし、スマートであってもエロくない。だいたい1970年代のスーツのシルエットが嫌いだ。

ショーン・コネリーはとてもエロい。素晴らしいことだ。
「ロシアより愛を込めて」(63)でダニエラ・ビアンキがベッドに入るとき、ガーターベルト用のフルファッション・ストッキングを穿いていたことに気づいた人がどれくらいいるだろう。ビデオを止めてスローで再生して確認したものだ......20代の頃。
それゆえビアンキのストッキングがわかるジャケのサントラ・レコードも買った。

アクションだって、それっぽく見せていた。中坊にはスタントマンの存在など意識もさせなかった。ロジャー・ムーアは、ほとんどのアクションがスタントマンによるものに見えたけれど。
ヒッチコック監督の「マーニー」(64)はティッピー・ヘドレンが素晴らしく、コネリーも良かったけれど、当時はまだ彼はジェームズ・ボンドに見えていた。

そのうち007を引退した。
「未来惑星ザルドス」(74)は最悪だった。コネリーが脂ぎっていて気持ち悪かった。でも自分がこのときのコネリーと同じ年頃になって気がついた。
だいたい男は40代後半から50代は気持ち悪いのだ。少し枯れたほうがまだマシだ。実際、枯れた「アベンジャーズ」(98)のコネリーはじつに格好良かった。

つい数日前に観たのは、コネリーが007に復帰した1983年製作の「ネバーセイ・ネバーアゲイン」だ。これをリアルタイムで観たとき、若かった僕は「コネリーも、かなりのオッサンだから007なんて無理だよね」と思ったものだ。
でも驚いたことに自分が、このときのコネリーよりも歳を取ったら、なんとこのオッサンな007がとてもハンサムで格好良く見えたのだ! いやはや歳を取るはこういうことなのか、と思った次第。

余談だが、007人気にあやかってショーン・コネリーの弟、ニール・コネリーを引っぱり出してきて製作された「ドクター・コネリー/キッドブラザー大作戦」(67)は、ダニエラ・ビアンキ大活躍のB級大傑作ものだった。

さらに余談を重ねると、昔、雑誌『ぴあ』の映画の増刊号だったか、そんなのにショーン・コネリー時代の007のラストシーンはなぜ、カメラがfixしないのか? という論を書いた。
詳細は省くが、大円団でのボンドとヒロインが抱き合うシーンをfixの画面にすると「未来永劫に続く愛」「結婚」を想起させる。
だが、カメラがパンしたり動くと、このカップルが固定した(安定した)関係でないことを暗示する......そういった内容だ。
ショーン・コネリーの007もので、ラストシーンでカメラがfixするものはひとつもない。
たいていの映画批評が面白くないのは、こういう大きなフレームに気づかないからだ。

労働者階級出身のコネリーは007もので世界旅行をした。ジェットセッターの時代を体現した。
そういうものに憧れながら、僕はまるで引きこもりのような書斎派人生を送ってきたけれど、やはり90歳くらいまで生きられたらいいなと思う。
どんなに不快なことに日々、遭遇するにしても。