2021/09/07 16:36


ジャン=ポール・ベルモンドが亡くなった。
有名人の誰が死んでもあまり感慨を抱くことのない僕だが、ちょっと動揺した。
ベルモンドといえばゴダールの『勝手にしやがれ』(59)。
中学二年のときに兄と一緒にTV放映で観た。
「ヌーヴェルヴァーグ」という映画運動だと教えられた。
ベルモンドの肩幅のあるジャケットが強く印象に残った。あの肩幅の広すぎるジャケはいまでもちょっと不思議なのだ。

最も回数を観たのは『カトマンズの男』(65)だ。フィリップ・ド・ブロカ監督のドタバタ喜劇。
ベルモンドはなんでもかんでも身を投げて飛び込んでいくのだ、スタントマンなしで。
魚売りの魚の山に飛び込んだり、もう無意味極まりない。
これは「飛び込む映画」だったが、ブロカがベルモンド主演で撮った『リオの男』(64)も同じように「飛び込む映画」だった。

僕は10代からウツ傾向が強く、ウツになると『カトマンズの男』を観た。
あまりにバカげていて、あぁ、こういう人生ありだよね、と元気づけられたのだ。
癌で早世したマキちゃんと恋愛していた頃、彼女にこの映画を観せたら「ばかばかしすぎ」と笑われた。
彼女のほうが映画のベルモンド以上に無軌道な人生送っていたからね。

『モラン神父』(61)ジャン=ピエール・メルヴィル...良かった。『いぬ』(63)もメルヴィル監督。
でも、ベルモンドはあまりメルヴィルのテイストには合わないのだ。ブロカのバカげて軽々しいほうが合っていた。

『ダンケルク』(64)でカトリーヌ・スパークと親しくなるところはグッときたよ。
これも10代のときに観て、恋愛への憧れをかき立てられた。

『暗くなるまでこの恋を』(69)で、カトリーヌ・ドヌーヴに毒を盛られているのを気づきながら愛し続けていくというのは泣けた。
ま、僕の女性崇拝心性にもぴったりだったのだ。

『薔薇のスタビスキー』(74)はアラン・レネだからね。レネとはようするに「通俗性の作家」なのだ。
このあたりまでかな、そのあとに『ベルモンドの怪盗二十面相』(75)があった。やはりフィリップ・ド・ブロカ作品。

人生というのは誰にとってもだらだらと長く続くものだからベルモンドにもずっと出演作はあったけれど、
実質的には怪盗二十面相あたりまでだったように思う。

と考えるブロカとベルモンドは人形使いとマリオネットだったようにも思えなくもない。
どんなに生を吹き込まれた素晴らしいマリオネットでも...
...いつかは動かなくなるときが来ると知ると、やはりそれは悲しい。

写真は『カトマンズの男』フィリップ・ド・ブロカ、『暗くなるまでこの恋を』フランソワ・トリュフォー、『ダンケルク』アンリ・ベルヌイユ