2022/03/24 19:19

東京都庭園美術館で2022年4月10日まで【奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム】展が開催されています。
この展覧会を企画した学芸員の神保京子さんと僕(mondo modern/長澤)で、シュルレアリスムとモードについて語るトークイベントがあります。
テーマは「シュルレアリスム、具象の時代、見通しの悪さについて」。
4月4日、16時から。Zoomを使ったオンライン開催で無料です。

ちょっとわかりづらいテーマかもしれないので、ここで解説を。
というのは、打ち合わせのとき僕の話したいことをダダッーと喋ったのですが、そこをかいつまむと「具象」的な思考とシュルレアリスム隆盛期の「見通しの悪さ」になるのです。

ここ数年の現象で思っていたことは、いまは抽象的なものに人があまり反応しなくなって具象的なものに惹かれているということです。
具体的には2000年代を少し過ぎて以降のシュルレアリスム的なものの人気です。
もっと顕著なのはコラージュ(それも60年代以降のものよりもシュルレアリスム的な古いもの)でしょうか。
それはmondo modernで売れる本にも表れていたことでした。

人々は抽象的思考に向かわず、具象的なものに共感している。

80年代に「ニュー・ペインティング」が出てきたときに「具象への回帰」も話題になりましたが、まだ絵画は抽象のあいだにも踏みとどまっていました。
それが1990年代後半のスーパー・フラット以降、具象、そして小さな世界の表現が大きな勢力を持ったと思います。

シュルレアリスムはアンドレ・ブルトンの独善的な性向もあって戦後、50年代くらいには一旦終息したようになりますが、早くも60年代には再評価の波が来ます。
日本ではシュルレアリスト瀧口修造の活動もあれば、その下の世代である澁澤龍彦らの文筆もこの再評価の大きな力になったと思います。
それはきわめて60年代的気分でもあったと思うのです。

2010年代後半からの気分もシュルレアリスム的とはいえないものの、ある具象的事物から発するものということでは、似たような気分があるように思えます。
そもそもシュルレアリスムに共感しなくとも批判的ではなくなっているのではないでしょうか?



ところでブルトンによるシュルレアリスム宣言が1924年。イタリアのムッソリーニがファシズム政権を打ち立てたのは1922年。じつに同時代的なことだったのです。

ブルトンは左派でした(のちにメキシコに亡命したトロツキーと会っていますね)。ルイ・アラゴンに至ってはスターリニストに。
シュルレアリスム運動も30年代には左傾化したので、ファシズムと関係ないじゃん!と思う人のほうも多いでしょう。

でも、問題は美学の世界で1910年代のアヴァンギャルド(ダダからキュビスムから未来派まで)が、抽象的志向を持っていたのに対し、シュルレアリスムは無意識の探求や現実の拡張のもとに絵画ではとくに具象的なものをデフォルメさせていったことです。
その手前で、デ・キリコなどを筆頭にアヴァンギャルドの古典主義回帰の現象が起きていました。それを「アール・デコ様式」と括るのが多いですが、これはもっと大きな問題だと思います。

1920年代後半の新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)、古典主義回帰の傾向、そしてシュルレアリスム、それらは一種の〝反動〟ではなかったか? というのが僕の見立てです。
いや、政治的に左翼だった、急進的だったと言うことは可能でしょう。でも、それはファシズムが内包した古典主義回帰と同じではないものの、心理的に通底する部分があったのではないか?
これは政治信条の右・左関係なく、時代の気分として通底していたのではないか、ということです。

そうそう「時代の気分」というのは、だれもこれまで綿密な論証の対象としてこなかったのですが、僕はこれが一番重要な気がしてきています。

1920年代ベルリンでミッシャ・シュポリアンスキーというカバレット(キャバレー)で活躍した作曲家がいました。彼の作品のひとつに「空気に漂うこの何か」というのがあります。
それです。20年代のベルリンのあの腐臭漂う、歓楽に身を委ねた、あの「空気」。
それをシュポリアンスキーは楽曲にしました。

それはシュルレアリスムとファシズムがほぼ同時期に興り、1930年代の一方は文化の、一方は政治の大きな思潮になった要因、すなわち「時代の気分」だと思うのです。
そして具象的思考は新古典主義につながり、古典主義はファシズム美学に通ずる。じつは見事に円を描いていたのではなかったか?

いやいや、そんな「時代の気分」なんてもので、大きな芸術運動や政治潮流を同様に扱うのは違うでしょう? という反論が出ることは予想します。
でもベンヤミンだのアドルノだのいろいろ引用したところで「空気に漂うこの何か」は掴めないのです。
だからきわめて感覚的に、その空気によって時代精神(ツァイトガイスト)を論じても良いのではないかと思うのです。

細かな論証はさらに必要ですが、これは僕からの提起です。ちょっと感覚的な。
人と議論していけば、もっと詳細も見えてくるかもしれません。
とりあえず4月4日、こんなこともお話したいと思います。

申し込みは下記から。Zoom利用の詳細なども書かれています。