2022/05/01 14:33

ミュージシャンの小坂忠が亡くなった。
知っているわけではないが、まったく知らないというわけでもない。
というのは僕にはとても思い出深いことがあるからだ。

小坂さんや細野晴臣らはジョンソン基地(現・入間基地)周辺の元米軍ハウスに住んでいた。僕の父がジョンソン基地で働いていたこともあって、このハウス周辺はよく知っていた。
たしか中学2年か3年の頃、すでに彼らを狭山市営プールで見ていた。僕は兄の影響もあって小学生のときからビートルズを聴いていて中学生のときにはギターを始めていた。
だから彼らのことも多少知っていた。

そのときの風景が今でも映画のワンシーンのように目に浮かぶ。
僕は同級生のMとYと3人でプールの縁で寝そべっていて、細野さんや小坂さんら女性も入れて5人くらいがプールで大はしゃぎしているのを見ていた。狭山市には不釣り合いなくらい都会的に見えたのだ...その頃は。
僕は中学生で学生運動をやって教師に最悪の内申書を書かれ、志望校には行けずに2番手のリベラルな所沢高校に進んだ。ここに行って良かった! 
美人が多かったし、左翼が多かったし、しかもみな軟派でお洒落だった。
もう地上にそんな楽園はない。
狭山市から電車で所沢まで通っていたのだが、制服廃止を勝ち取ったので毎日、好きな服で通っていた。
あるとき電車に乗ったら数メートルのところに小坂忠さんが。長髪で細面でとても恰好良かったのだ。

僕は友人のFと一緒で、「あれ、小坂忠じゃない?」と。「話しかけてみようか?」「なんて?」「うーん、なんかない?」
「そうだ、文化祭に出演してくれってどうよ」と僕。友人「ギャラは?」「それはOK出たら考えればいいじゃん」。
てなわけで、僕は車内で吊り皮を握っている小坂さんの横に行って「小坂忠さんですか」と。
「はー、そうですが」「あの...僕、所沢高校の生徒なんですが、文化祭に出演してもらえませんか」と。
よくもまぁ、そんなことをヌケヌケと言ったよね。若さの特権だ。
そのあと何を話したか記憶にないが、たしか忠さんは「考えとくよ」って言って笑っていた。大人だったのだ。

...その後、お金は集めた。同級生にカンパを募って。
でも、そのときは小坂さん出演よりもエイゼンシュタインの映画『戦艦ポチョムキン』の16mmフィルムを借りて上映することにカンパを募ってしまった。
『戦艦ポチョムキン』は当時はまだ、そう簡単に観れなかったので上映することに意義があった。高校2年のときだ。
良い時代だったよ。

もっとずーっとあとのこと。1980年代末くらいかな? 渋谷のバー〈門〉で細野晴臣が女性と飲んでいた。
すでにちょっと酔っていた僕は、そのときも話しかけてしまった。
「昔、狭山市の市営プールで泳いでいるのをよく見ました」と。細野さんがどういう反応をしたかはもう憶えていない。
プールで一緒だった同級生のMは長くハウス住まいをしていて、忠さんが近所だとか、牧師になったとかいろいろ話していた。
ハウスは解体され、彼もマンション住まいになった。
市営プールはまだあるのかな?