2022/09/13 19:49

人生で最も怖れているようなことは、突然やってくる。
ジャン=リュック・ゴダールが9月13日に亡くなった。
いつかこの日が来ることはわかっていた。
80代のゴダールの老いた姿の写真を海外の映画ニュース記事などで見て、ゴダールもいずれ地上から消える...とアタマのなかで反芻したものだ。

しかしゴダールが死んだらどうなるのだろう?
もう映画の決定的革新になど、絶対に出会えないのではないか。
ゴダールが画期的だったのは、ヌーヴェル・ヴァーグで映画を革新したことだけではない。
その後もずっと、一作ごとに映画そのものを革新していったことだ。

ジャン・ルノワールやゴダールのいくつもの作品のプロデューサーだったピエール・ブロンベルジェは、かつて自伝にこう書いた。
「ひとりの映画作家で10年続けて、傑作を作り続けられる作家はほとんどいない」と。
これは慧眼だ。
たしかに映画史を顧みれば、名監督でも10年以上、傑作を作り続けた監督は多くはいない。
ゴダールはそのひとりだった。いや、彼は60年近くもつねに「新しい映画」を創造し続けたのだ。

ゴダールの作品は観る側に強い「思考」を迫る。
その強いられる思考が快感であり、それは絶えず彼が映画そのものを革新することによって観客に強いた思考でもあった。
でも、そこには逃げ道もある。

『新ドイツ零年』だったか、アレクサンドル・アストリュックのこんな言葉が引用される。
「人はなにかに集中しているとき、別のことを考えているものだ」。
そう、ゴダール作品を観る快感はドラマ的な何かについて考えるなどではなく、
ゴダールはなぜこのように撮り、このように編集し、これは何を表現したいのか?とそこから個人個人が勝手に派生させていく思考なのだ。

ゴダールの映画に集中すればするほど、その映像が喚起し、派生させる別のことを思考してしまう。
もちろんその思考は経巡ったあとにゴダール作品に回帰する。
そうさせるゴダール作品に感動するのだ。

よくフランソワ・トリュフォーとゴダールは対比させられた。どちらが好きか?などと。
トリュフォーの作品は青春のための映画であり、革新的(あるいは〝フランス映画の墓堀人〟)だったトリュフォーも後期は作風が古典主義に回帰し、作品そのものが老いてしまった。
ゴダールは、好きかどうかでは括れない。
それは映画史そのものであって、ゴダールが死んだら映画史の半分ほどが失われたも同然なのだ。
なぜならゴダールこそが「映画の領土」を拡張し続けたのだから。

1949年、ジャン・コクトーが中心となってビアリッツで「呪われた映画祭」(festival du film maudit de Biarritz)が開催され、若きゴダールとトリュフォーがかけつけた写真が残っている。
後年ふたりは喧嘩別れし、トリュフォーがかなり口汚くゴダールを罵ったことは有名だ。

だが、ゴダールはBBC制作『映画誕生100年特別企画』の「フランス映画編」を監督したときに、冒頭にトリュフォーの写真を掲げた。
ゴダールは言った。彼は友人だから、と。
すでに亡くなっていたトリュフォーは、これをあの世で聞いただろうか?

みんないなくなってしまった。ついにゴダールまでも。