2022/09/21 21:28

キース・ヴァン・ドンゲン展がパナソニック汐留美術館で開催されている。
ヴァン・ドンゲンといえば、10代の終わり頃に読んだジウリア・ヴェロネージの名著『アール・デコ〈1925年様式〉の勝利と没落』を思い出す。
ヴェロネージは、ヴァン・ドンゲンの〈銀色のシュミーズ〉と題された作品を口絵で紹介し、こう書いた。

「まぎれもなく歴史上最後のシュミーズだ」と。

この一言が強烈に印象に残った。「歴史上最後のシュミーズ」とは、どういうことなのか?
それは喉に突き刺さった魚の小骨のようにずっとあとまで、引っかかるものがあった。
1970年代当時、映画を観ても、あるいはもっと古い時代の小説を読んでも「シュミーズ」という言葉は使われていた。
でも「スリップ」という言葉もよく目にするようになっていた。シュミーズとスリップはどう違うのか?
当時は、それがよくわからなかった。

シュミーズがフランス語、スリップは英語という違いだけではない、服飾史での使い方の違いはのちに知ったが、シュミーズは綿や麻の素材が多く...などと記されている。
ヴァン・ドンゲンの〈銀色のシュミーズ〉は1920年代の作品で、しかも銀色というからにはシルクかサテンだろう。
ともあれヴァン・ドンゲンの絵はシュミーズと不可分に記憶された。
そしてヴェロネージが言うように1920年代にシュミーズは終わったのかもしれない。

ヴァン・ドンゲンの絵画はいくつもの風俗の変遷を記録している。
ひとつは世紀末から20世紀初頭にかけてのシルク・ハットの横溢。これはまた別の機会に詳細を論じよう。

もうひとつ思ったのは、彼の絵が1910年代後半から極端にスリムなプロポーション、8頭身どころか10頭身くらいになっていくことだ。
表現主義時代の絵と20年代の彼の絵では人物のプロポーションがまったく違うということを、美術史家たちはなぜもっと大きな問題として取り上げないのだろう?

↑ 図版:1918年頃。すでにスリムな体型になっている。

この変化は1910年代にパリを席捲したアフリカ彫刻やブランクーシの彫刻、それらに影響を受けたモディリアーニの細く長い肖像画...
そして1912年に創刊された高級モード誌『ガゼット・デュ・ボン・トン』のベニートのような、極端にスリムで細長いモード画を描くイラストレーターらとの相互的な影響があったのだろう。

風俗画でいうなら世紀末から売れっ子になったJ・C・サージェントも、ジョバンニ・ボルディーニも、極端にスリムで細長い肖像画を描いて人気を得ている。
すべてが同時期に〝長体〟に変化しつつあった。
そんな時代性が、流行に敏なヴァン・ドンゲンの絵のプロポーションを劇的に変化させたのかと思う。
彼の通俗性とはそういうところにある。

ちなみに雑誌がモデルの写真を使ってモードを紹介するようになるのが1910年代。だが前記『ガゼット・デュ・ボン・トン』のように20年代はイラストによるモード紹介の全盛期だ。
モデルはまだ野暮ったく、スタイルものちの時代ほど良くはない。イラストのほうが見る側に夢想を喚起したのである。
どのみち金持ちはメゾンで仕立てるのだから、写真を見て細部を知る必要などなかった。

モデル撮影が、雑誌の最新モード紹介のメインになってくるのは1930年代。スタイケン以降、ホイニンゲン・ヒューンやホルストらが続いてだ。スリムで8頭身というプロポーションがモデルに求められていくようになる。

ヴァン・ドンゲンの絵は、時代をよく反映しているから1930年代には古典主義的なスタイルに変化していく。
10年代の表現主義的な荒々しさは消え、絵の巧さだけが際立つ。しょうがない、時代が変わったのだから。
ところで彼はけっこうなイケメンだった。
第一次世界大戦前にはおそらくよく娼館に通って、娼婦たちを観察しただろうことが、何枚の絵からも伝わってくる。
モテたのかもしれない。

会場を出たところの小さなミュージアム・ショップの関連本コーナーのようなところに、拙著『20世紀初頭のロマンティック・ファッション』が平積みになっていた。レザネフォルだから...
ちょっと嬉しかった。

「キース・ヴァン・ドンゲン展―フォーヴィスムからレザネフォル」
パナソニック汐留美術館で25日(日)まで開催。

↑ 図版:ヴェロネージはこの絵を「まぎれもなく歴史上最後のシュミーズだ」と書いた。
↑ 図版:1909年頃。〈フォリー・ベルジェール〉へ向かう、おそらくドゥミ・モンデーヌ(高等娼婦)

海野さんの本の奥ね、拙著『20世紀初頭のロマンティック・ファッション』!