2023/07/27 19:26

僕はグラフィック・デザイナーとは別に「ファッション史家」を名乗っているが、これはあくまで〝自称〟。
誰が認めたわけでもなく、学会にも所属していないので、学会の人たちは認めないだろう。
でも、僕の本の読者が認めてくれている。

ファッション史学会とかの論文を(ネットで公開されたpdfで)見ても、あまりに視線が違うのだ。
「視点」ではなく「視線」。

「ものごとをどう視るか」ではなく、「ものごとにどういう眼差しを向けているか?」ということ。
服飾史に限らず、日本では歴史に対しても批評に対しても「視点」ばかりで、「視線」が欠如しているような気がしてならない。
「視点」は自分の立場=「視座」を鮮明にしていく、さらには思想化していくが、
「視線」は移ろいゆく事象にただ目を這わせ、その背景を追い、そこから何かをつかみ取ることだ。
エフェメラに身を委ねることでもある。

大きな歴史には、視線は意味がないかもしれないが、小さな歴史に「視線」は必要な「視座」でもあるはずなのだ。


そこでどうでもよいような話を。
〈ポルノ・ムービー・エステティカ〉上映会や拙著『ポルノ・ムービーの映像美学』で、
『ディキシー・レイ・ハリウッド・スター』という作品を紹介した。
時代設定を1943年にした探偵ものポルノ。
女優(ジュリエット・アンダーソン)のブラウスのプリーツが
40年代ファッションを忠実に再現していることを『ポルノ・ムービーの映像美学』に書いた。


『ディキシー・レイ・ハリウッド・スター』でのジュリエット・アンダーソンのブラウスのプリーツ!

『闇の曲り角』で探偵の秘書役、ルシル・ボールのブラウスのプリーツ!

さらに本では、主人公の探偵の愛人である秘書が、探偵にナイロンのストッキングをねだるシーンについても書いた。
戦時中でナイロンはパラシュート用に徴用され、ストッキングは極端に不足していた。
探偵は秘書にこう言う「PXで手に入れな!」。
秘書には軍の兵士の愛人もいることを示唆しての台詞だ(PXは基地内の売店のこと)。

話変わって、ルシル・ボールが探偵の秘書役を演じる1946年の作品『闇の曲り角』というノワールものがある。
最初に観たのが15年近く前。このときは気がつかなかった。
この映画でのルシル・ボールのブラウスが、『ディキシー・レイ...』でのジュリエット・アンダーソンのブラウスの元ネタだったことを。
さらにはルシルが、ボスの探偵にストッキングをねだるシーンまである。


『ディキシー・レイ・ハリウッド・スター』でボスの探偵にストッキングをねだる秘書
『闇の曲り角』でボスの探偵にストッキングをねだるルシル・ボール

そうか、1983年に製作された『ディキシー・レイ...』は、『闇の曲り角』を元ネタにして、ファッションや時事ネタまで借用していたのだ!
監督のアンソニー・スピネリは『闇の曲り角』を詳細に観て、1943年という時代を再現するのに参考にしたのだ。
しかもポルノとは思えないレベルの傑作で、全米のポルノ関連の映画賞を総ナメにした。


侮ってはいけないのだよ、ポルノだからといって。
日本でも世界でも「服飾史」などという気取ったことをやっている人間は、ポルノなぞ歯牙にもかけないだろうけれど。。

そんなことがわかって何の意味がある? という人もいるだろう。
では、アナール派歴史学が名もない木靴職人のことを掘り起こしたことも、何も意味なかったというのだろうか?
意味ではない。
捉えようとする視線こそが重要なのだ。