2025/03/28 03:28

アンヌ・ヴィアゼムスキーといえば、ジャン=リュック・ゴダールの『中国女』を思い起こす人が多いでしょう。
ゴダール作品では『東風』(69)や『万事快調』(72)も印象に残った。

もっとあとではピエール=グラニエ・ドフェールの...
僕に言わせると〝涙なくして見れない〟『離愁』(73)では、助演役ながら存在感があった。
アンヌの母方の祖父は作家のモーリアック。
その血を継いでか、彼女はいくつもの小説をものにし、91年には俳優から小説家に転身する。邦訳された小説も多い。

訳本が出た自伝的小説『少女』は、主人公が映画の世界に足を踏み入れ、しかも主役となってしまうまでを描いているが、これはアンヌがデビューしたロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』(66)のこと。
〝小説〟に描かれるブレッソンの行為は、いまで言うならセクハラの連続。ご興味ある方は読んでみてください。

ところでアンヌの著作には『Album de Famille』という写真集がある。
タイトルのようにこれはヴィアゼムスキー家の家族アルバムだ。
1900年代初頭から1960年代まで、数代にわたってのさまざまな光景がまとめられている。
アンヌの父はロシア生まれ、貴族の家系で、のちにフランスに亡命。
だから家族アルバムは優雅な上流階級の生活がよく捉えられている。
家族の写真はむしろ少ないのかもしれない。

ヴィアゼムスキー家の誰かが撮った、その時代のさまざまなことが印画紙に焼き付けられた。
ベルエポック期の優雅な散策、パーティ、結婚式、第一次世界大戦、兵士の出征、20年代の街頭、第二次世界大戦、家族の別れ...
「家族アルバム」という範囲を超えた約半世紀にわたるフランスのある一家とその周囲の記録だ。
このアルバムにはもっと数奇な逸話がある。

じつはアルバムはヴィアゼムスキー家の手から離れていた。
叔母のニーナのところにまとまって保管されていることを知り、アンヌは連絡を取る。
ところが話し合いを持とうとする前にニーナは亡くなってしまった。
その後、アルバムはニーナのもとからアンヌのもっと遠い親戚筋の従姉妹のところに移っていた。
...それを知ったアンヌは、従姉妹に連絡を取る...
こうしてヴィアゼムスキー家のアルバムは従姉妹の承諾のもとにアンヌ・ヴィアゼムスキーが編集して出版された。

この本のそんな詳細は調べてもどこにも書かれていない。もちろん海外のサイトにも。
それを僕は調べて書いている。たった2700円の値段を付けた本のために。
でも、それでいいのかもしれない。
...ヴィアゼムスキー家はいまも僕の側にいる。

*アンヌ・ヴィアゼムスキーは、2017年に70歳で癌で亡くなった...『中国女』からそんなにも時が経ってしまったのか、と呆然とした。

*このblog公開後に売れてしまいました。
https://mondomodern.thebase.in/items/99870361