2025/08/01 17:49

マレーネ・ディートリッヒの初期の曲にこんな感じの歌詞のものがあった。
「幸福を手に入れてしまったら、手に入れる前の頃が懐かしくなる」

...退院を目前にして憂鬱な気分だ。
病院での生活は悪くなかった。


ツイッターやインスタでの、会ったことはない友人からコメントもあったし、メッセージももらった。
一番ありがたかったのは投稿へのコメ以上に直接メッセージをくれた人たち。
孤独ではないと感じた瞬間だ。
ほとんどが女性だった...

最初にFBに投稿したときに「旅行に行けないのに別の旅が始まった」と書いた。
そう、こんな大きな病院に入ると、これはもう旅だ。

高度治療室(HCU)なんて、患者をベッドから立たせない。すべて看護師がやってくれる。
苦しかったけれど、ベッドごと検査室に何度も運ばれるというのは、異次元の体験だった。

もともとマシーン好きだから、病院のさまざな機器はデザインから機能までかなり楽しめた。
一番感動したのはTVレントゲンというもので、通常のレントゲンの静止画画像ではなく、
動画のようにリアルに身体内部を見れる機器。

CTスキャンより解像度が高く、内部の膿の溜まりなどを細かくチェックできる。
これは検査中に画面も見れたのだけれど、モノクロ・レントゲン映像で自分の身体内部を見るのは面白かった。


そして看護師…
杏林大学医学部付属病院は大学も同じ敷地。
看護師も大学で養成しているからか、若い女性ばかり。正直言うとちょっと異様。

二人一組で三交代制。
しかも看護師の数はかなり多い。
なので最初はまったく覚えられなかったが、長く入院しているとローテーションで二度、三度となり、おおよそ覚えてしまった。
マスクをしているからよくわからないが、僕は美女観察のエキスパートだから目元でなんとなくわかる。
あと体型を加味すると...(顰蹙買いそうですね😄

でも、ほとんどの人がすごく感じ良くて、いままで通った病院でもなかなかここまでは...と思いました。
若かったら恋したかも...という女性も2人ほど…
いや4人!😄


最初は胃に入れた管でたいして喋れなかったけれど、取ってからは遠慮しつつ会話も。
ま、僕ほど礼儀正しく、何にでも「ありがとうございます!」を言う患者も少なく印象は悪くなかったでしょう。

だから、面会とかなくてもまったく孤独ではなく、むしろ病気前の日常生活のほうがずっと孤独だったと思う。
そう思うと退院も嬉しくないのだ。
ここが心地良いから。

食事が摂れるようになってからで言うと、
朝食後、談話室に行って午前中の原稿書き(SNSの投稿、blog等)。
昼食があって、その後、ちょっと昼寝。

談話室に行って午後の原稿書き(新著の執筆)。その後シャワー30分
夕食があって、9時消灯。
でも室内灯があるから11時まで起きていて、もらった眠剤で就寝。
まったく退屈ではなく、充実している。


いままで使っていた依存性がある強力な眠剤(アモバン)から抜け出せそうなことは、この病気での収穫かもしれない。
そして朝の5時半に自然に目が覚める。

これまでの朝の6時半に就寝という、人とは真逆の生活にも終止符を打てるかもしれない。
だから...入院生活になにか不満があるか?
というとここの病院では何もない。
一種のモラトリアム。一種の離れ小島。一種のユートピア=胎内の羊水。

ここを出て、これから仕事をどうするか、お金をどうするかを考えるほうがずっと苦しいことだ。
そもそも今回の発病の原因は不明で、おそらく飲酒とストレスではないかとの(これはAIの)見立て。
発症前の1ヶ月はかなりストレス感じていたしね。


...退院をイメージしたらこんな感じだった。
空襲で瓦礫だけになった戦後のベルリン市街に、ひとり投げ出された自分...
病後という「戦後」をこれからどう生きればいいのだろう?